最近、本のあらすじを読んでいない。
本は物理派で生きていくと思っていた自分が電子書籍派に乗り換えてはや数年が経つ。
なんだかんだで本も電子書籍もそれぞれ違ったよさがあるという当たり障りのないところに落ち着いているものの、そういえば電子書籍に切り替えてから本のあらすじを全然読んでいないことに気がついた。
かつて、本を読み始める前に本をひっくり返して裏表紙に書いてあるあらすじを読むのは読書を始める前の儀式めいた習慣だった(本によっては、表紙をめくった場所に書いてあることもある)。
電子書籍だとそれをあまりしないことに気がついたのは最近だ。理由は単純に電子書籍には本をひっくり返すという操作がないからやっていなかったというだけだが、あらすじを知らずに本を読むと、現代物だと思って読み始めた本がファンタジーだったり、突然登場人物が死んだりと、思いもよらないところでびっくりして「そういえばあらすじを読んでいなかったな」と気がつく。
こういうとき、私は「あらすじを読んだ方がよかったのだろうか」と不安になる。別にどっちだっていいとはわかっているが、本の作者だって、魔法が出てくるシーンで「この本、ファンタジーだったんだ!」とか、人が死んだシーンで「この本、もしかしてミステリかも!」とか、そんな驚き方をして欲しいわけではないとも思うから難しい。
そもそも、あらすじってなんなんだろう。
作品の一部として書かれたものではないことがほとんどだろうし、読まなくても問題ないものだとするのなら、これは読者のために書かれた文章ではないのかもしれない。どんなときにあらすじを読むかと考えてみると、それは場合本を読むかどうかを決めるときに偏っているような気がする。 だから、おそらくあらすじとはまだ読者になっていない人に向けた文章なんじゃないかと思う。
そう定義してから考えると、Kindleに切り替えてから結構経つのに、なぜ今さらこんなことが気になったのかという疑問の答えも簡単に思いつく。
単に、私がここ最近人に薦められた本を薦められるがままに読んでいて、あらすじを読んでその本を読むかどうか考えるという過程を完全に吹っ飛ばしていたからだ。 これは私が「薦められた本は選り好みせずに読む」というルールで本を薦めてもらったから起き得たことだろう。このルールに従う場合、私は本を薦められるが時点で本の読者であることが確定し、あらすじ(読者未満に向けて書かれた文章)を読むことを想定された対象から外れる。なるほど。これでそれらしい理屈になった。
これからも私はあらすじを読んだり読まなかったりしながら読書を進めていくと思うが、同じ本に対して「あらすじを読んだ場合/読まなかった場合」それぞれの感想を持つことはできないから、どちらの方がよかったのかという疑問に答えが出ることはない。
まあ、そんなことを考えてしまったら、今度は「表紙の絵を見た/見なかった」それぞれの感想だって持ちたい、とか言い始めてしまうだろうから、これ以上は考えないのが正解なんだろうとも思う。
本を読み終えて、ひと息つく。
それから初めてあらすじを読んで、こういう話だったなあ、と思う。それでいいということなのかもしれない。