概して青い服

よく青い服を着ている人の日記です。

選択できない選択肢

最近、ソシャゲのシナリオを読んでいて今さらながらに気がついたことがある。

ソシャゲのシナリオの進み方は大抵の場合、アドベンチャーゲームの形式で、主にキャラクターたちの会話文と地の文によって進んでいく。地の文の有無や量はゲームによって違いがあって、たとえば私がプレイしているゲームで言えば「あんさんぶるスターズ!!」はほとんど地の文がないし、「魔法使いの約束」はそこそこ多いように思う。とはいえ、今回は地の文の量の話をするために記事を書き始めたわけではないのでこの辺りは割愛。

気になったのは、シナリオ中に出てくる「選択肢」だ。 ソシャゲのシナリオを読んでいて思うのは、この選択肢……、どっちを選んでもその後のセリフが変わるだけで、特にストーリーの根幹に関わってこないことがほとんどだ。本当に今さらそれが気になった。

もちろんそれをつまらないとか、手抜きとか言うためにこの記事を書いているわけではないので、話はもう少し続く。

調べてみると、この記事でイシイジロウさんがアドベンチャーゲームの分類をしていて、そこでこんなことを語っていた。

>基本的にお話が一本道で,その“物語を進めるために,間にいろいろなゲームが入っている”という考え方なんです。何かをクリアしたら正解,次のお話に進めますっていうのは,例えば,「バイオハザード」のようなアクションアドベンチャーも同じ構造で。「ドラゴンクエスト」みたいなRPGも,言ってみればこの系譜ですよね。「直線型」とでもいうのかな。

逆転裁判やダンガンロンパがそうだと言われると確かに「なるほど」と言う感じだ。

これに対して、エンディングが分岐するのがフローチャート型(弟切草やかまいたちの夜など)で、これについてはこう語っている。

>もう一度プレイすると“また違う物語が見られる”ということに驚いて。しかも,繰り返しプレイするごとに,違う物語になって。「ああ,これはいろいろな“可能性を見ていくゲーム”なんだ」というところに,当時,もの凄い衝撃を受けましたね。

対談自体はアドベンチャーゲームについてもっといろいろ(それこそスマホゲームについても)語っていて興味深く、おもしろかったので読んでみて欲しい。

話を戻すと、ソシャゲのシナリオは基本的に「配信中にエンディングにたどり着いていない」ため、「マルチエンディングにならない」、つまりは「直線型」にしかなりようがない、ということなんだと思う。というか、ストーリーという部分においては一切選択肢が出てこないものも多い。あんさんぶるスターズ!はびっくりマークが1つのときからストーリーに選択肢がない(プロデュースコースにはあった)。 ちなみに、FGOではとあるイベントストーリーでエンディングが変わるものがあったらしい。「配信中」ではない部分で部分的な分岐を発生させるというのはうまい手法だな~と思う。

そういう制約の中でゲームらしく楽しませるために、フレーバーとしての選択肢があるのかもしれない。実際、キャラクターとのコミュニケーションを楽しむタイプのゲームでは、選択肢それぞれの反応を確認するのは楽しい。

ただこの選択肢を選んでいるときにふと、「嫌だな」と感じるときがあることに気がついた。

例えば、今日の朝ご飯を聞かれて、その返事としてこんな選択肢があるとする。

  • トーストだったよ。
  • 忘れちゃった。
  • は?

そして、私はAを一番選びたくて、Cを一番選びたくないとする。この場合は単にAを選び、BやCを選ばなければいい。全ての反応を見るとしても、2度目以降の選択肢は自分の思うゲームの正史ではないと割り切ってBやCの回答を選んでみることができる。例えできなかったとしても、「直線型」である以上はエンディングに到達するという目的を果たせなくなることはない。

そして、選択肢はあるが、どちらを選んでも概ね意味が変わらないものもある。

  • トーストだったよ。
  • 多分、トーストだったと思う。

これは選択肢自体はあるが、実質なにも選択できない。もっと露骨だと、

  • トーストだったよ。
  • トーストだったよ。

こうなっている場合もある。

こういう選択肢の場合、これは選択肢というより演出のひとつなのだろう。もしくはそのゲームのシナリオのレギュレーションとして「主人公(=プレイヤー)のセリフは選択肢のみで表現する」「地の分を使用しない」というものがあって、この形でしかストーリーを進められないという場合もあるのかもしれない。この場合、選択肢が選択肢という役目を完全に放棄して、

  • トーストだったよ。

となっている場合もある。

まとめると、

①選択肢が複数

  • トーストだったよ。
  • 忘れちゃった。
  • は?

②選択肢が1つ(選択はできない)

  • トーストだったよ。

③選択肢が複数(実質選択できない)

  • トーストだったよ。
  • 多分、トーストだったと思う。

こんな感じ。

ここで本題に入ると、この選択肢が②のパターン、「どれも選びたくない場合」、なんか……、めちゃくちゃ「嫌」なのだ。選択肢がなければ普通に受け入れられていただろうストーリー展開でも、ここに②タイプの選択肢が入るとめちゃくちゃ嫌になってしまうのが不思議で、こうしてパターン分けして数日間考えていた。

なにやってるんだ私は……と思うが、例に出したのが朝ごはんだから「なにやってるんだ私は……」で済むが、ここが例えば伝説の木の下で目当ての相手に告白を受けた直後の選択肢だったらと考えたら、人によっては結構一大事だと思う。だって、

Aくん「君が好きだ!これからも一緒にいたい!」

Bくん「僕だって君が好きだ!どちらかを選んでくれ!」

  • 「Aくんが好き!」
  • 「ごめんね……、先に告白してくれた人が好きなの!」

こうなった場合、Bくんが好きだったプレイヤーはどうなっちゃうんだよという話だ(先に告白してくれた人が好きだってなんなんだというのは置いておいて)。これならまだ選択肢が発生しないか、百歩譲って「Aくんが好き!」という選択肢しか出ない方がマシだ。

「どちらを選んでもAくんルート」「Aくんルートの選択肢しかない」「選択肢がない(Aくんルート)」全てが同じ結果になるのに、どうして自分の抱く感情が変わるのかといえば、選択肢を選ぶ行為はシナリオを読む行為と違い、自発的な行為だからじゃないかと思う。選択肢を「自分で選択する」という行為はそれが実際にエンディングに影響を及ぼすかどうかに関わらず、ユーザ自身の体験となる(この「体験」という実感はビジュアルとサウンド以外で小説とノベルゲームを隔てる要素の1つだと思う)。

自分はBくんルートを選びたい場合、選択肢がないときは単純に「自分の好きなストーリーじゃなかったな~」で終わりだ。しかし、ここに「自分でAくんルートを選んだ」という体験が含まれるとなると「自分がこのゲームに意にそぐわぬことをさせられた」という気持ちが生まれてしまう。ついでにプレイヤー≠主人公であることを突きつけられて没入感が薄れてしまう。これが「なんか嫌な気持ちになる選択肢」の正体なのだと思う(例外的に、プレイヤーの意のままにならない選択肢であること自体が演出である場合もあるが、これは特殊な事例だろう)。

選択肢が1つしか現れない方がマシだと思うのは、選択肢が1つしかない場合は自分が「物語を先に進める」という決定しかしていないからなのかもしれない。例え「Bくんルートに行きたかったよ~」と思っていたとしても、ストーリーを先に進めたい気持ちは少なからずあるためか、没入感の喪失もやや緩和される。

ここまでなんだか「みんな」がそうであるように書いてしまったが、あくまでこれは私の話だ。でも、ちょっと共感してくれる人がいるとうれしい。

また、ここまでの書き方だとまるで「選択できない選択肢」を悪いものだと思っているようになってしまったが、それは全くの誤解で、使う場所さえ選べば「選択できない選択肢」はとても画期的な表現だと思う。

シナリオ上でプレイヤーに「この選択肢しかない」と思わせた状態であれば、選択肢が1つしかないことは必然であり、納得して選択肢を選んだという体験が生まれる。それはめちゃくちゃ最高の体験だろうな、と思う。

もちろん、この「シナリオ上でプレイヤーにこの選択肢しかない」と思わせる部分というところが難しく、技術力が必要なところなんだと思う。少なくとも(そんな自体は起こり得ないが、)私がライターならこの手法は割けたい。

だらだら書いてしまったけれど、これで「選択できない選択肢」に対するもやもやした思いはだいぶ晴れたような気がする。お付き合いいただき、ありがとうございました。

余談

選択肢が

  • もちろん!
  • トーストだったよ!

こんな感じで、続く文章を見る限り、どっちも口に出したとしか思えない状況になっていることがある。 これは「選択肢が1つしかない」パターンの変形だと思っているものの、同じゲームの中で選んだ選択肢の内容しか共有されない選択肢と、表示された選択肢全てが共有される選択肢が混在されると結構困惑するのでちょっと苦手だ。